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日本には年賀状や暑中見舞いなど、時節に便りを交わす習慣があります。メールと違って直筆の手紙には書き手の思いがより込められているように感じるのです。
先日、アルバムを捲っていると、結婚前に主人と大喧嘩をした際に彼が書いた置手紙が出てきました。今では脅しても書いてはくれそうにない文節にやさしいものを感じました。そこにはメールでは味わえない何ともいえない温かさが存在します。活字には逆立ちしても表現することのできないパーソナルなメッセージが文字の中に隠れていると思うのです。
幼いころと青年期、そして中年期、老年期と文字も成長を遂げます。それも直筆の魅力の一つではないでしょうか?パソコンなどの文字では本当は誰が書いたものなのかは釈然としません。しかし、直筆は違います。上手い下手に関係なく、生身の温かさが伝わってくるのです。
私が幼いころ、多忙な母は会話不足を手紙の交換という形で埋めてくれました。直接話せないもどかしささえ浮き出てきそうな文字。また、寝たきりになっている祖母が震える手で書いてくれたバースデーカードに残る頼りなげな波線の如き文字。恩師が毎年送ってくださった版画、そして片隅に書かれた“元気ですか”という五文字。育児に悩む私に“賢いお母さんになってね。また、会いたいです”と書き残してくれた父の力強く安心を与えてくれる文字。出産の折りに寄せられたカードの山に踊るそれぞれの文字。
その時々にしか存在しない感情とともに生まれ出す文字の配列は金品では買うことのできない私の人生の宝物です。いつの日か、人生が終わるときにはお棺の中に入れてもらいたい財産です。それらは誰のためでもなく、私の、私だけのために、さまざまな想いや願いを込め、時間を割いて、書いてくれた貴重なものです。
印刷し、宛名を書き、それで終わりという書簡では何とも寂しいものではないでしょうか。今夏は少し余裕を持って、相手のことを想い浮かべながら、暑中見舞いや残暑のお見舞に筆を走らせてはいかがでしょう。
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