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節分には豆まきを行わないと何かすっきりっしない気分になります。
節分行事はもともと宮中での年中行事。彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったとの記述が、延喜式に見られます。豆をまき、邪気払いをする風習は寺社が行っていた邪気払いの豆打ちの儀式が融合したものともいわれているそうです。
わが家では、毎年数え年分の豆を母と数えるのが習わしで、子供のころはその数が毎年増えていくのが楽しみでした。母は家族全員分を半紙に包んで記名し、無病息災を願いながら神棚にお供えしてくれました。いつまでも食べないでいると、まるで服用しなければいけない薬であるかのような指令が飛んできます。今思うと、それだけ家族の健康を心から気遣ってくれていたのでしょう。
人間にはどうすることもできない力を古来、神や邪気の力と解し納得するという風習は万国共通なのではないでしょうか。実はわが家の“しつけ”にもこの“畏怖の念”を利用しています。
子供との会話に登場する、その“こわいこわいさん”はわが家のクローゼットルームに潜んでいるのです。娘が聞き分けがなかったりすると、実際には声が聞こえるはずもないのですが、「ママの言うことを聞かないなら、○○ちゃんはママがいらないんだね」と、この“こわいこわいさん”がママを連れ去ってしまうのです。
これも過剰にすると恐怖心だけを植え付けてしまいあまりよくないのかもしれませんが、この“こわいこわいさん”はときによい子をとても褒めてくれるという役割をも担っています。
私自身も幼いころ、「夕方は魔の神様が通るから早く帰らないといけない」とか「ふざけていると怪我をさせられる」とかいろいろな“畏怖の念”を用いてしつけられたことを思い出します。
先日も母が孫娘に同じ台詞を言ったときは、なんだかとても懐かしい気分になりました。
実は懐かしい反面、すこしドキッとしました。何を隠そう、母となった今でも、私はその“魔の神様”がとても恐かったりしているのです。
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