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生体肝移植手術を終えて
4月16日から17日未明にかけ、信州大学附属病院で長男・太郎をドナーとした生体肝移植手術を受けました。15時間にわたる手術でしたが医師団をはじめ関係者のご尽力によりお陰様で成功し、父子ともに初めての経験で不安もありましたが、経過は良好に推移しております。この間、手術を受ける前には順天堂、信州大両病院の行き届いたご配慮で、多くのドナーを経験された皆様の話を聞いたりすることができ、心配もかなり納得できるものになりました。また本当に多くの方から励ましのお言葉を頂戴したことを一般病棟に戻ってから知り、心から厚く御礼申し上げます。
胃のねじれに悩まされていた太郎もすでに退院しました。私も食事はほぼ普通食になり、日本アルプスも美しい病院の庭を窓越しに見ながらリハビリに励みつつ、かつて母が病床にあった時「窓近き しだれ桜を見て病みぬ」と俳句を詠んだことなどを思い出しています。
2〜3ヶ月で術後の生活のリズムを整えて、秋には政治活動に復帰する心づもりですが、長年の不養生から現在開会中の多くの重要法案に取り組む大事な国会の審議に出席していないことは誠に申し訳なく思っております。有権者、国民に対して私が負っている責任を果たすため、療養に専念して一日も早く健康を回復し、政治活動を再開したいと考えております。初めての長期入院生活は、あたりまえのことながら人生には思い通りにならないことがあるということです。術後に集中治療室で過ごした一週間の体験は、想像を超えるものでした。世の中には、自分の力ではどうにもならない状況に直面して立ち尽くす、恵まれない人、弱い立場の人がおられる。こんど政治の場に戻った時には、そういう人々の声に応える政治行動を展開したい。それが今度の経験を経ての私にとって強い願いであり、改めて肝に銘じているところです。
私自身は子どもたちに強く薦められ、また子どもから臓器の提供を受けることができたため、最新の医学の恩恵をこうむることができました。臓器移植法成立後も脳死患者からの移植が19例にとどまり、多くの方々が臓器提供を心待ちにしておられるという現実の中で、私はこの幸運と子どもたちの気持ちに心から感謝しています。
しかし一方でドナーとなった太郎も強調しているように、私たちの場合に子が親に臓器を提供したということを皮相的に捉えて「美談」にすることは避けなければなりません。なぜなら臓器が移植に適合するかをはじめ、個々の家族によって置かれている条件は千差万別であり、また事は生き方の主体的な選択という個々人の信条にわたることだけに、親族に同じ問題を抱える人々に「あなたはやらないのか」というプレッシャーがかかることは避けるべきだからです。医療技術の進歩のすばらしさには目を見張るばかりです。しかし一方で経済的負担の問題は簡単ではありません。多額の費用がかかり、保険の適用はありません。その結果「やれば直る」のに「できない」という問題も起こってくるわけです。
将来的には、ES細胞(胚性幹細胞)による自己の肝細胞の再生といった新しい医療技術によって臓器移植のいらない時代が来るのかもしれませんが、今は現実の問題として非常に多くの患者がドナーの出現を心待ちにしていたり、様々な理由から移植手術の実施を願いながらもあきらめている現状があるわけです。
したがって、まず現状では臓器移植法に基づく脳死患者からの移植を推進することが必要です。私も今後、移植治療の経験者として、国民の間にこの問題の理解を深める活動の一翼を担っていかなければならないと思います。自民党も、心臓に難病を抱える小さな子どもが移植手術を受けられるようにするため、15歳以下の脳死患者も臓器提供できるようにするための法改正を検討していますが、このような努力を続けることが重要であると考えます。さらに費用面の問題にも取り組むことで移植医療の充実を図っていくことが必要です。
私は今ベットの上でリハビリに励みながら、このような問題も含めて、退院後は今回の体験から得たものを活かし、少しでも諸課題の解決に努力していきたいと考えています。
有事立法などについて
ところで、いま国会では、有事立法や個人情報保護法といった国民の基本的な権利に関わる重要法案が俎上に上っています。私はこれらの法案の成立を図るについては法律論、制度論としての適否ばかりでなく、審議のプロセスも含めて国民になるほどと腑に落ちることが必要であると考えます。
それは、政治不信を増幅するような事態が連続する中で拙速に多数決による決着のみを急げば、成立する法律が安定して機能することを阻害するばかりでなく、政府与党への信頼低下につながるのではと恐れるからです。
いずれこの問題についてはまとまった意見を表明したいと思いますが、とにもかくにも病床より、願わくば落ち着いた雰囲気の下で慎重に審議を進めていただきたいと切に願っています。
「引退勧告」を拒否する
最後に、太郎代議士のメールマガジンとホームページで、私に対する引退勧告がなされ、そのことが複数の新聞やテレビ番組に取り上げられたことについて一言。
私は、今度の臓器移植のドナーとなってくれた息子太郎に心から感謝しており、特にあまり従順な性格とは言えない私を説得しきって手術に漕ぎ着けた人間・河野太郎の器の大きさには尊敬の気持ちさえ抱いていますが、このことについて結論から言えば、引退勧告はお断りします。
ちょっと別の問題で言われていることですが、政治家の進退は自ら決すべきものであり、私の進退は政治情勢、自らの身体的条件、選挙区の有権者との信頼関係などから私自身の総合的な判断によって決せられるべき問題です。
昨年春に外務大臣を退任した頃は正直言ってつらく、自分を懸命に励ましつつ仕事に取り組みながらも「余生」という言葉さえ頭をよぎる時もありました。しかし、一人の寿命には限りがあり、仮にそれが指折り数えることができる程度のものだったとしても、国際社会の変化のなかで日本国民の歩みは一時も足を止めることはありません。それを考えれば、私は自身の限界にとらわれて縮こまるのではなく、未来を見つめて、子や孫の世代に対する責任をしっかりと果たし続けることこそ大切である考えます。また、今の永田町を見渡す限り、残念ながら65歳の私が「もう安心して後輩達に後事を託す」ということができる状況ではありません。相次ぐスキャンダルによる政局混乱、激しい批判の応酬ばかりが目立ち国民の団結を促す建設的なリーダーシップが見あたらない現状、ややもすると若い政治家たちにも目立つ近隣諸国に対する偏狭なナショナリズムの横行などを見ておりますと、まだまだ私程度の経験や識見の者でも、決して存在価値がないとは思えないのです。幸い、私の予測される健康状態も、ベテラン衆議院議員に当然要求される程度の活動には十分耐えられるものであり、国家のために尽くしたいという私の情熱にいささかの翳りもありません。
さらに、天の運に恵まれて生体肝移植手術を受けることができた私は、同じような境遇にある方々の励みという点からも、また医療問題への国民の理解を啓発するためにも、健康を維持できる限り、国政という自分のグラウンドに立ち続ける使命が十二分にあると考えております。繰り返しますが、息子・太郎の親を思う気持ちには心から感謝し、人間・河野太郎の助言にはこれからも耳を傾けて行きたいと思います。しかし先ほども述べた通り、自らの経験上まだまだやらねばならない仕事があると考え、さらには、這えば立て、立てば歩めと育ててきた父親の立場からすれば、まだまだ嘴の黄色い、蒙古斑も消えていない「衆議院議員 河野太郎」のメールマガジンに自らの進退を左右されるつもりはありません。
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