
| 熱き思いで後援会復活
南足柄 |
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| 小選挙区移行に伴って活動を休止していた南足柄市の河野洋平後援会の再立ち上げを図る「河野洋平を囲む夕べ」が9月9日夜、南足柄市の狩野公民館で盛大に開かれました。旧5区から神奈川17区に変わって小選挙区制つまり、唯一の当選者を決める選挙制度となって平成8年と昨年の総選挙は保守一本化を実現すべく自民党南足柄支部として選挙戦を乗り切ってきましたが、運動員の間からは「やっぱり、洋平先生の選挙は後援会主導でないと力の入れ方が違う」という声が広がり、旧役員らが河野代議士とも相談の上で早期の再立ち上げを確認しました。 河野代議士は久しぶりの狩野入りとあって定刻前から会場に到着し、なじみの顔との再会を喜び合い、初当選の思い出話から説き起こした講演も、予定を40分オーバーするなど熱のこもった内容となりました。 河野代議士講演要旨 「昭和41年に初めて狩野に来てから30年以上が過ぎました。その間政治も経済も社会も変わったが、変わらなかったのは皆さんのご支援だ。定数5の旧3区で、最初の選挙を戦ってから連続12回の当選をさせて頂いた。大勢の同期の仲間では山下元利さんと藤波孝生さんなどが将来有望とされていた。その後私は新自由クラブを旗揚げし、あえて野党議員となったが、自民党に残った藤波さんは中曽根内閣の官房長官に、山下さんは党の要職についた」 「新自由クラブでは保守改革のため、政治生命をかけて一生懸命やりましたが、このまま進めば仲間を全部政治的に殺してしまうと改革の道を断腸の思いで、10年を区切りに自民党に戻った。宮沢派では一期生のつもりで雑巾掛けから再スタートし色々苦労もあったが、宮沢内閣の官房長官を務めた。当時マスコミからライバルと言われていたのが同じ年の橋本、小渕、森さんんたちだった。橋本、小渕両氏は私より一期上で森君は一期下だった。 思いがけず私が最初に自民党の総裁選にチャレンジすることとなったが、渡辺ミッチーさんと争った総裁選では、最大派閥の田中派からの支持をもらわず総裁になれないかと一生懸命考えた。私の総裁時、自民党は初めて野党に転落し、全く官邸に入らない唯一の総裁と言われた。その間に衆議院選挙があって、世間では自民党が負けたと言われたが、あの時は細川さんや羽田さん、小沢一郎さんらが大勢自民党を離党しており、それを考えれば選挙前の数を減らした訳ではなかった」 「30数年間、色々な事があったが、とにかく私がここまで来れたのは皆様のお陰だし、私には何の不満も不足もない。しかし、地元への恩返しはまだまだ済んでいないし、この地域の人が安心して暮らし、生活することができるようもっと頑張る必要がある。 小渕さんに懇請を受けて外務大臣を引き受けたが、第2次森内閣でやめていれば外務省不祥事の泥もかぶらなかったとの説もあるが、私としては無責任なことは出来ない。外務大臣は瞬時の判断と総理に代わって責任を果たす必要がある。田中外相を注意深く見ているとその辺りが欠けているように思う。また小泉首相も自分ではなかなか前に出ない。経済政策においても危惧がある」 |