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井手守秘書逝く

在りし日の井手秘書
河野洋平代議士の最も信頼篤い政治的同志であり、初出馬以来長く第一秘書として選挙区事務所の責任者を務めた井手守さんが、8月21日深夜、入院していた伊勢原市の東海大学病院で、カビの一種であるアスペルギルス感染による肺病のため、67歳で逝去しました。葬儀・告別式は故人の強い遺志により近親者だけで執り行われましたが、河野代議士は医師の了解を得て駆けつけ焼香しました。
井手さんは昭和10年福岡県生まれ。早くに両親を亡くしたため、戦後の窮乏期に苦学して門司高校から早稲田大学に進学しました。高校では野球部でポジションは捕手。早大では雄弁会に所属しました。
酒もたばこもやらず、緻密な仕事ぶりとまじめな人柄が信頼された井手秘書は事務所に入って5年目、28歳にして河野一郎代議士から選挙区の統括を任されるほどの信頼を勝ちとりました。
昭和40年、故郷福岡県から衆院選出馬を目指していましたが一郎代議士が急逝。悩んだ末に、洋平代議士を支えることに人生を賭けることを決意しました。
井手秘書の政治に対する姿勢は極めてクリーンなもので、その腐敗を排する主張は河野洋平代議士の考え方を忠実に反映したものでした。また井手秘書の体験に根ざす平和への想いには熱いものがあり、代理挨拶で政界のタカ派回帰の風潮を懸念する熱弁は心を打つものでした。
昨年6月に発病して入院。9月には本人の強い希望で退院して職場復帰していましたが、少し動くと息が切れるという状態が続きました。
昨年、河野代議士が体調を崩してからは大いに心配し、今年3月のお彼岸にはすでに生体肝移植を決意して入院先から一時帰宅した河野代議士を見舞い、一緒に一郎代議士の墓参をしました。その際「代議士、必ず元気になって総理になってください。そして、私を総理秘書官にしてください」と励ましましたが、その日を迎えることなく今年6月再入院。河野洋平代議士の最大の理解者であり、分身であった井手さんは、尊敬して止まなかった一郎代議士と同じ享年67で旅立ちました。
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