知事候補擁立へ政治手腕
 
 知事の勇退表明を受けた候補選定は、県連主導で内定していた元官僚S氏の突然の辞退で振り出しに戻りました。 
 2月12日の「県連常任顧問会議」でも、新たな候補の一本化が不調に終わり、翌日、小泉総裁を交え県選出国会議員が協議しましたが、このままでは県連と国会議員団との軋轢が統一選を闘うすべての候補者に深刻な影響を招きかねないと察した河野代議士は、その場で国会議員団の一任を取り付け県連側との調整役をかってでました。
 この日より約2週間、河野代議士は連日東京と横浜を往復して、国会議員団・県連側とそれぞれ議論し、移動中の車でも連絡を取りながら、早朝から深夜迄一人でぎりぎりの折衝を続けました。
 2月16日に国会議員団を小田原の自宅に召集しようやく着地点が見えかけた矢先、一部国会議員が擁立を模索していた当のM党A参院議員が、出馬を断念したとの連絡が飛び込んできました。


 いよいよ追いつめられた状態ですが、河野代議士は最後まで諦めません。まず自らが国会議員を引き連れて県連に出向いて混乱を招いたことを謝罪し、県連と国会議員双方が結束して候補者を擁立することを合意させ、すぐに新たな作業に取りかかりました。慎重な作業を積み上げた結果、2 月25日それぞれ一任を受けていた河野代議士と梅沢県連会長のトップ会談で宝田良一さんが決定しました。
 あわや県議選と知事選の分離選挙かという混乱を収拾し党内の結束を図ることができたのは、偏に河野代議士の政治手腕があったからこそです。
 双方から寄せられた感謝と労いの声にも、河野代議士は「絶対に勝つ」と応え、先陣を切って「宝田良一」さんの支援を訴えたことは言うまでもありません。  
(小田原 池田正顕)