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政工研の歩み
河野議長の個人事務所である政治工学研究所(通称・政工研)は今年の5月に三度目の引っ越しをしました。
振り返ってみますと、設立から28年の間には様々な出来事がありました。
最初の事務所は赤坂山王下にあって、25、6人の自民党の若手議員と共に政工研グループを発足させ、毎週開かれる会合は大変勢いのあるものでした。また、各省庁の官僚を集め「十五日会」という名称の勉強会を主催し、政策的な出版物を出すなど、河野議長が政治家としての理想に燃えていた時期でした。昭和51年自民党を離党し、新自由クラブを立ち上げたのがこの事務所でし
た。
その後、東京タワーに近い、御成門のビルに移りました。昭和60年科学技術庁長官として初入閣し、在任中にはスペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故やチェルノブイリ原発の事故が立て続けに起こり、多忙を極めました。翌年、新自由クラブは解党し、河野議長は自民党に復党しました。
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三番目の事務所は国会議事堂と自民党本部の近くにあり、12年間ここを拠点に活動をしました。内閣官房長官・自民党第十六代総裁・副総理・外務大臣・そして再任・衆議院議長とまさに政治家・河野洋平の機が熟した感がありました。しかし、この間、武子夫人の死去は、事務所の要ともいうべき夫人を失った我々に大きな悲しみをもたらしました。生前の武子夫人が、いかに大きな役割を果たしていたかを私たち事務所の者は改めて認識しました。
その後の河野議長の闘病に、それぞれの役割の中で全員が懸命に関わってきました。生体肝移植に至る道のりは著書「決断」で明らかにされていますが、これらはすべて河野洋平事務所のスタッフの和が支えてきたのだと思います。
この度、4番目の事務所を平河町に移しましたが、我々は絶妙のチームワークで河野議長を支えてゆきたいと思っております。
(政工研スタッフ)
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