中部太平洋遺骨収集の旅・回想
天皇皇后両陛下のサイパンご訪問に寄せて

 戦後60年の節目に天皇皇后両陛下が激戦の地であったサイパンをご訪問されました。戦没者慰霊のために中部太平洋に足を運ばれたのは初めてのことです。バンザイクリフで黙礼された両陛下、出迎えた遺族関係者の「六十年経って本当に戦後を迎えました」という言葉が印象的でした。


バンザイクリフの碑

 38年前、河野洋平衆院議長の国会議員として最初の外遊は、サイパン、グアムを含む中部太平洋で、遺骨収拾と慰霊の海外視察でした。以下は河野洋平衆院議長が当時を思い起こしたものです。

 昭和42年。初当選したその年の夏、遺骨収集の現状を視察するため中部太平洋の米領の島々を廻った。
 これらの島々では太平洋戦争の末期、本土防衛の前線基地としてアメリカ軍と対戦、いずれも日本軍玉砕という悲惨な結果を戦史に残している。
 サイパン島では、4万数千人の軍人が多数の民間人と共に戦死している。今ではリゾート客でにぎわうが、その頃は一旦茂みに足を踏み入れると、戦後20年を過ぎても未だに倒れたままの姿で残っている白骨、戦車の残骸、鉄かぶと、銃剣などおびただしい数の戦争の痕跡が朽ち果てたまま残され、悲劇的な雰囲気につつまれていた。多くの戦死者を出したといわれる地獄谷の辺りは土砂崩れで洞窟が殆ど埋まり、バンザイクリフと呼ばれる高さ80メートルにおよぶ断崖では、多くの日本の婦女子が飛び降りて自決を遂げたが、付近に散乱している遺骨の収集は困難だった。
 立入禁止区域の北地区に許可を得て入域した。ここで戦傷死された沼津出身の大嶽少佐の当番兵を務めた石垣さんから、ご遺族のために遺骨と遺愛の日本刀を是非見つけて欲しいと、詳細な図面を預かっていた。現場はジャングルのようになっていて、歩くことすら大変な状況だった。幸運にも、図面通りに大きな岩の陰に錆びて細くなってしまった刀を抱いた人骨を見つけることができた。大嶽少佐の遺骨と推測し、一部を日本に持ち帰った。骨は下顎の右側に三本の歯を治した跡があり、歯科医によってご本人と確認された。
 ペリリュー島では圧倒的な火器を持つ4万の米軍を 前に1万人の日本の将兵が2ヶ月間耐えに耐え玉砕した歴史に胸打たれ、とめどなく流れる涙を押さえることができなかった。
 日本を離れた戦場では、まだ戦後は終わっていなかった。何千何百の白骨となった、祖国の未来を信じて命を捧げた若者たちの胸中を思うと言葉もない。何の罪もない現地の人たちは、戦の原因も目的も知らされず、最後は自決にまで追い込まれた。この人々の気持ちは慰めようもない。
 戦争を知らず、安易に戦争を解釈する次の世代に、しっかりとこの事実を伝えてゆかなければならない。決して戦わないとの固い決意を政治の場で実践すること、永遠にその決意を変えぬことを政治の原点にすることだ。