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宮澤喜一元総理死去
河野議長、保守リベラルを代表と弔辞
河野洋平衆院議長が尊敬してやまない派閥の領袖だった宮澤喜一元総理が6月28日死去しました。
河野議長は昭和49年に田中角栄首相が退陣した後の政局で宮澤氏に若手の支持による総裁選への出馬を要請したことがありました。また昭和62年、自民党復党後に選挙区で初めて開いた議員生活20周年の集会(厚木市、旧5区)には大蔵大臣だった宮澤氏を主賓として招き、また宮澤内閣では官房長官を務めるなど、親交も長く深いものだっただけに、訃報を知ると直ちに渋谷区神宮前の自宅に駆けつけました。
河野議長は8月28日の内閣・自民党合同葬に参列したほか、10月15日、宮澤元総理の地元である広島県福山市で開かれた「宮澤総理を偲ぶ会」で追悼の辞を述べ、宮澤元総理のハト派路線をしっかり継承していく決意を強調しました。宮澤元総理を「保守リベラルを代表する政治家であり日本の良心」と称え、そのような宮澤氏を支え続けた地元福山の市民に対する感謝の言葉でしめくくられた河野議長の弔辞には多くの共感が寄せられました。
また河野議長は月刊誌『論座』9月号で若宮啓文・朝日新聞論説主幹と対談し、宮澤元総理への思いを語っています。
河野議長の福山市における弔辞(要旨)
宮澤先生は、戦後一貫してわが国の経済政策、外交の中枢を担ってこられました。若き経済企画庁長官として活躍され、一方で政治・社会・文化にわたる深い教養により欧米の政府首脳から、日本の最も信頼の置ける政治家と評価されました。
いわゆる世渡り上手ではなかったため総理就任が遅れ、総理大臣としては経済政策を主導されるというよりは、国連活動への自衛隊参加の立法や、選挙区制度の変更といった問題に取り組む巡り合わせになりました。しかし、その後の経済危機に際しては小渕総理の懇請を受けて高橋是清翁以来の「総理経験者の大蔵大臣」に就任し、そのお力を遺憾なく発揮されました。
私はかつて若手議員の時代からその進歩的なお考えに共鳴して参りましたが、宮澤内閣の官房長官を務めた後も、大事な節目でいつも相談に乗っていただき、小渕内閣、森内閣を通じ同じ内閣の大蔵大臣、外務大臣として勉強させていただきました。まさに宮澤先生は私の師匠であり、指南役でありました。
最近の宮澤先生は、小泉、安倍内閣の下における政策の単純化、乱暴な政治運営に強い危惧の念を表明しておられました。残された私たちは、宮澤先生のご心配を少しでも晴らしていくことこそ、後進としての努めであると考えております。
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